2010/10/21

「中央」VS「ローカリティー」

インドネシアは、とにかく気候や人々の感覚が異国情緒を醸し出していましたが、韓国は、パラレルワールドに来てしまったのではないか、というくらいに近似して感じました。都市やテレビの内容はもとより、韓国の田舎に行ったのですが、その途中の風景も一見するとまるで日本の田舎ですが、よく見ると細部が違うのです。昔の家屋に行っても、非常に懐かしくて胸がキュンとなる感じがあって、よく見ると違うのです。

●韓国の書院文化
田舎に行った時に書院というところに行きました。それは、私学で、中央の政権とは対峙する立場にあるインテリな人たちがたまったり議論したりもするような場で、それが国の各地にあります。近代化したときに機能としてはなくなりました。しかし、韓国は基本的に中央に対する民衆の反骨精神が非常に強く、また意識も高いです。なので、常におかしいと思う事があれば反発します。し、歴史的に力があったようです。

●民衆の芸能
あと、仮面劇を見ました。これは、私が地元でやっているお囃子や花祭りの鬼が出ている場面にとても似ていて、つまり、中央的な芸能ではなく、民衆のために自治的に行われたものです。これが完全に観光化されているにも関わらず、物凄いエネルギーとお客さんに対する働きかけ、またその受け手の関係に、リアリティーがあり、かなり感動しました。音楽は体の底の方から血を沸き立たせるような力があった。まだこの芸能は生きていると思った。

書院、仮面劇共に、私にとって、今テーマとなっている
「中央」VS「ローカリティー」
の理想的な図で、この国のためではなく、自分たちのために学んだり芸能を立ち上げたりしているということです。日本でもじつは中世には本当に盛んだったし、その流れは江戸までは続いていました。

●日本の場合
ローカリティーのエネルギーは、自分の村の神様や、無縁の場にある信仰などがその後ろ盾となって、中央に対峙する自分たちのための芸能ではないだろうかと。日本でそれが完全に瓦解したのが明治の時、「国」の骨格がはっきりと提示されて宗教も「国家神道」に回収させられていった、つまり、全てが中央の下に入った。そうすると後ろ盾となる「おらが村の神様」の力がなくなり、中央に対峙する力もなくなり、芸能自体もリアリティーを失い、力を失うという流れだったのではないか?と思っています。今は国家神道はないけれど、圧倒的な資本のシステムがその代わりに回収しているという感じかもしれません。

●現在のローカリティについて考える
今の時代に、今の日本で、あるいは国という概念の外側で、某かの無縁の場を見出す事が可能か?マジョリティーに吸収されないもう一つのエネルギーを芸術のムーブメントに繋げる事は可能か?(手塚)

2010/10/13

Re: 国立劇場「アジアを結ぶ獅子たち」

神村さん
国立劇場の「アジアを結ぶ獅子たち」の報告、ありがとうございます。すごく興味深いですね。獅子を扱っているという共通項はあるものの踊り方も、ストーリーも、社会背景も、まったく違うのが面白いですね。
神村さんの観た演目を、YouTubeで検索してみました。韓国の水営野遊は見つからなかったです。残念。

法霊神楽(ほうりょうかぐら)

東北の神楽にはいろんな共通点があるように思うんですが楽器構成や音楽のリズムは早池峰神楽と似てますね。

早池峰神楽は、獅子頭じゃなくて、鳥兜をかぶるんですね。
あと、群舞になるところは、板沢しし踊りにも似てますね。

いま板沢しし踊りを改めてみたら、その動きが、なんとなく鳥屋の獅子舞にも似てるなぁ。

○テトの獅子舞(ムーラン)

この映像は神戸の長田でベトナム人のコミュニティが行ったベトナムのお正月の行事を記録したものですね。獅子舞のシーンは短いのですが、この正月の風習全体がおもしろいです。ここはたしかDANCE BOXはこの近くですね。

○連獅子

昭和45年の歌舞伎座での連獅子らしい。こんなのアップして松竹からクレームはこないのかな?7分15秒くらいから獅子が登場します。連獅子といえば頭を振り回す動きですが、思えばあれって日本の獅子舞というよりも、韓国の農楽を連想しますね。


ふーん。おもしろいねえ。(大澤)

2010/10/01

国立劇場「アジアを結ぶ獅子たち」

10月1日に、国立劇場でやっていた「アジアを結ぶ獅子たち」という公演を林真智子さんに誘われて見てきたので、遅くなりましたが、それについて少しご報告します。
獅子は聖獣として仏教の伝播とともに、インドから中国、日本と伝わってきたそうで、獅子を芸能に取り上げた「獅子舞」は日本だけでなくアジアの他の国でも行われているそうです。

公演では、
1 法霊神楽(ほうりょうかぐら)権現舞(ごんげんまい)…法霊神楽保存会(青森県八戸市)
2 水営野遊(スヨンヤリュ)両班の場・ヨンノの場・爺婆の場・獅子舞(サジャチュム)の場…水営野遊保存会(韓国 釜山廣域市)
3 テトの獅子舞(ムーラン)…ハンアンドン龍獅藝術團(ベトナム ホーチミン市)
4 連獅子…日本舞踊 花柳流
の4つが上演されました。

1 八戸市 法霊神楽 権現舞
まずはその由来について、パンフからの抜粋です。
インド、ネパール、韓国、中国、日本などでは獅子を家の守り神として奉る習慣があり、日本では獅子頭を「権現様」として崇める信仰も生まれた。権現というのは、仏が仮の姿となってあらわれたもの、です。
権現信仰は山伏によって広められ、東北地方に定着した。山伏神楽や番楽はこの「権現様」を中心に構成される。捩子さんも書いてたかもしれないけど、もとは修験(山伏)が行法の一環として演じていたそうです。岩手、青森の旧南部藩の地域では、獅子舞を「権現舞」と呼び、神楽の折だけでなく各戸を回って祈祷したりもする。
それで、実際上演したものについてですが、舞台の中央奥に獅子頭(権現様)が奉られている。上手に笛、太鼓、手平鉦の人たちが座っている。けっこう単純で力強いリズムと旋律がリピートで続けられる。中央で男の人が一人で舞を舞う。扇子や数珠を途中で扱う。旋回したり、時々飛び跳ねたり、男性的で重みのある感じの動き。しばらく踊ったら、中央に正面向きに正座してじっとしている。脇の人が出てきて奥にまつられている獅子頭を取って、舞い手の左手に持たせる。かぶらないで手に持ったまま。すぐには動き出さないで、少しずつ獅子頭と一緒に動き始める。回ったりする動きが多くなり、権現様を舞わせる。歯をカチカチ鳴らせる歯打ちもする。獅子頭から下がっている長い胴幕をくぐったり自分に巻き付けたりして、だんだん獅子と一体化してくるような感じ。また止まって、おもむろに獅子頭をかぶる。
※ 最初は神様に向かって踊り(下舞)、次は神様と共に踊り(前打ち)、だんだん重なってきて、最後は神様になる或いは憑依される、という段階が丁寧に踏まれているのがとても興味深かった。林さんによると、山伏というのは山の神と民衆を媒介する存在だったらしく、まさに山伏のあり方と重なるものでした。
獅子頭を被ると、花道から7,8人くらいの踊り手がそれぞれ獅子頭を持って現れ、歯をカチカチ鳴らせる動きを一斉に繰り返す。全員が獅子頭を被り、動きを続ける。頭を振ったり上下を大きく行き来したり、リズミカルで激しい動き。歯打ちの時は腕を高く伸ばして、獅子がそびえているような感じになる。舞い手は女性も混じってました。もとはきっと女人禁制だったのだろうけど。子どもも2人混じっていた。子供用に小さい頭を使っていた。子役が必要というより、伝承のためなんだろうなと思う。サーカスとか歌舞伎でもそうだけど、伝えるためには一緒に舞台に参加させるのが一番効率よいから?
権現頭を被って動いていても、まるっきり獅子になりきるというより、半分人間の存在が見え隠れしている感じでした。いわゆる普通の獅子舞は人間の姿を消して獅子になりきるようなもので、鳥屋の獅子舞は獅子の姿をまとった人間が踊っているものだとしたら、これはその中間という感じだった。

2 韓国釜山 水営野遊(スヨンヤリュ
野遊というのは伝統的な仮面遊びのことで、旧正月の夕方に村人が集まって楽しんだ村祭りの一形態です。派手な色彩の衣装を着て、出演者は大きい仮面を被っている。楽隊は太鼓とラッパみたいなのを演奏する。権現舞のときとは明らかに違う軽くて跳躍的なリズム。小芝居みたいな場面がいくつか続く。時々音楽と踊りが差し挟まれる。貴族階級の両班を風刺するもの、両班がヨンノという妖怪に食べられてしまうもの、あと面白さがよくわからなかったのが、爺と婆の話。家出した爺を婆が旅に出て探しあてるが、妾がいた。妾に嫉妬する婆は爺に叩かれ、結局死んでしまう。話がブラックすぎて突っ込みようがない感じがした。別に誰にも同情できない。韓国の人ならぐっとくるツボが何か、そこにあるのかもしれないと思った。
最後が獅子舞の場で、獅子の周りを虎がうろついて、怒った獅子に最後は食べられてしまう。獅子は2人の人が布の中に入って動いている。神様というよりライオンを模したもののよう。
全体的に、全てがざっくりしていた。演技の仕方、ストーリー、仮面や踊りも。気分を盛り上げて楽しむことが目的だからなのか。野遊には、遊戯的なものと祭儀的な性格のものがあるみたいで、儀式としてのものも見てみたいと思いました。

3 ベトナム テトの獅子舞(ムーラン)
旧正月(テト)を祝うために盛大に行う。宮廷では違うタイプの優雅な獅子舞があるようだが、これは民間に伝承される獅子舞で、武術集団によって演じられる。演じているのは武術をやっている(多分)若者たち。全身に房飾りのついた派手な衣装と大きい頭の中に2人が入って動く。目、耳、尻尾も操作して動かせるようになっていて、愛嬌を振りまいたりする。高いところからジャンプしたり、ひっくり返ったり、大きい球の上を歩いたり、細い棒が立ち並んでいる上をぴょんぴょん跳んで移動したり、スリリングな場面が展開される。曲芸として普通に面白かった。

4 日本舞踊の連獅子
能の「石橋」を歌舞伎化したもの。親獅子が子獅子を谷へ蹴落とし、子が駆け上がってくるか試す。前半は人間の父と子の姿で、時々右手に小さい獅子頭を持って舞う。間狂言を挟んで後半は、子が赤、親が白の長い髪のかつらを被って踊る。かつらをぐるぐる振り回したりするやつです。儀礼で行われている獅子舞と、そこまで関連性はないけど、面白いと思ったのは、前半では獅子頭を持ちつつ、人間を獅子と見立てるようにしていて、後半は獅子になって踊る、という構成でした。
そこに現前していなくても、表されているものが完全な姿をしていなくても、表すものと表されているもののギャップを補って見られる習性みたいなのが日本にはあるのかなーとか思ったり。

獅子舞と一口に言っても、担わされている役割が国によって全然ちがうのが分かるプログラムでした。権現舞はもう少し機会があれば見てみたい。

以上のような感じです。(神村)

2010/09/27

シアタークブル

ディンドンの住まいでもあり、活動場所でもあるシアタークブル
なんという濃厚な場所だろう。リアリティーのまっただ中にある、創造的なエアポケットのような開けた場所。
もう、言葉にならない。ここからは何かが生まれるだろう。そう思える場所。(手塚)

ジェコそしてディンドン

今日は、午後、ジェコ達に、私の手法のひとつ、体の一部分に意識を集中してみたり、その部分を移動させてみたり、別のイメージを同時に持ってみてもらったりした。そのあと、ジェコ達に私の体に対しても同じように命令してもらって私が動いたりした。その動きをジェコ達は物凄く真剣に問いを持って見てくれて、そのことによって、ジェコは、このプログラムの背景にある大きなテーマみたいなものを感じ取ってくれたみたいだった。日本にも、助成金をとって来たいと、そして藤野に滞在してじっくり一緒に作業がしたいと言ってくれた。もしそうなったら本当にインタラクティブなリサーチが始まることになる。凄くどきどきする。

そのあとシアタークブルのディンドンに、公演を見る前にあって話しをした。そしてそのあと芝居を見た。ディンドンはやっぱりすんごい人だった。というか、日本であった時、一昨年ジャカルタで再会した時の印象では、すごく優しい普通のおじちゃんという感じだったのが、もう、すごくエネルギーが縦に充満しているような、神聖な何かに触れているような存在感で、かっこ良かった。ビックリした。彼の地元で、地元の普通の人を集めて芝居をやり始めて、それが今の劇団なのだそうだ。毎日、公演がなくても稽古はやっていて、稽古自体が物凄く好きで、様々な実験的な試みをやっているという。私が昔受けたワークショップでも、無意識の領域を使うと言う方法をやっていた。それが私の凄くあっていた。

意識の領域と無意識の領域を行ったり来たりする、それが今回のテーマだそうで、ただ、芝居を見た時にはそういう要素が身体感覚的というよりは演技として行われていて、少しだけがっかりしたのだが、それでも芝居の普通に見えるような場面でもすごくドキドキしたりゾワゾワしたりした。芝居の作りはテアトルコンプリシテとか野田秀樹とかに近いような展開の仕方で、見ている人の気持ちを興に持って行くのがすごくうまい。うますぎるくらい。うますぎて普通に近くなっているというところが微妙だと感じた。でも、たぶん、その普通をつくっている潜在的な要素、普段の稽古でやっている実験的な試みを体が通過していることによる強さがすごくあって、それが私をドキドキ、ゾワゾワさせていたのではないかと思う。明日話しをじっくり聞いてみる。(手塚)

2010/09/26

ジェコの「動物ポップ」という手法

今日は、午前中に博物館で様々な伝統的な建築や芸能などの展示を見ました。
午後はジェコの稽古場を見学して、ジェコの動物ポップという手法を体験させてもらいました。
即興で私も試したりして、なかなかコアな時間を過ごせました。
動物のスピリットというのは、普段から自分の中に住んでいて、形をやるときに自然とそのチャンネルになるようです。
ジェコは、カンガルー、鳥、猿、などの動物の形を瞬時に作ってしっかりと止まる。
ヒップホップは動きの途中で止まるとき、何かバウンドのような動きをするが、パプアの動きは、バウンドせずに突然止まる動きで、こちらの方が難しいのだそうだ。
私は、即興でこの「瞬時に動物になって止まる」という動きの連続を試してみたが、なんだか自分でも全く分からなかった。ジェコは私の体を途中で止めて、これはかまきりだ、これは猿だ、などなど読み解いてくれた。
明日は、ジェコに私の手法を少し試してもらう予定です。(手塚)

2010/09/24

ジェコと会う

久しぶりにジェコと対面した。
パプアやインドネシアに関する様々な話しをしてくれた。
ノートに、インドネシアの地図をフリーハンドで描いてくれた。その器用さに驚愕してしまった。
「後ろにあるものが前にある」
という謎かけのようなものが、かれの作品づくりのコンセプトだと聞いた。
それはパプアというバックグラウンドと深く関係しているようだ。
ジェコと話しをしたTIMという場所は、ある時期に映画館、稽古場、プラネタリウム、事務所、屋外の食べ物屋さんなどなどたくさんの施設を盛り込んだ公園としてつくられた。誰でもプラッとその中に入ってお茶を飲んだり、古い友人と偶然会って話し込んだりしている。長い時間、話し込んだりぼーっとしたり稽古をしたりする。その施設のある建物の中に階段の吹き抜けスペースを利用して一つの木彫りトーテンポールのようなものが飾ってあって、ジェコにそれを見せてもらった。それはパプアのある民族のものだという。一階から三階までの間に高くそびえるそれは、人の形が縦に連ねて掘られている。けれども、そのトーテンポールの一番上が根っこで一番下が木の頭であるという。それも、ジェコの「後ろにあるものが前にある」ということの一つの例だと言う。
明日、もしチャンスがあったら実際に動きをシェアしながら聞いてみたい。(手塚)

2010/09/23

インドネシアに到着

ジャカルタに到着しました。
またしても、飛行機で耳にトラブルが。
以前、国内便で左耳の鼓膜が破れるというトラブルがあったのですが、同じ側の耳が、飛行機に乗ってる間ずっと変で、そのあと少しずつ痛みが増え、今、真夜中ですが、左耳がうずうずと動き出したかと思ったら膿みがたらーりたらーり、血に混じって垂れてきました。
やれやれ。どうなることやら。明日からインドネシアのジャカルタで、ディンドン(シアタークプル主催)とジェコシオンポ(ダンサー)に会って話しをしてきます。
このブログで少しずつ公開します。(手塚)

田植えで踊っている人

手塚夏子がインドネシアにリサーチに出発した9月23日、成田空港まで見送ってから、佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行きました。その第2展示室「中世」の展示の中で「農村の年中行事」と題したコーナーにあるパネルに、こんな絵がありました。
大勢で田植えをしています。
よく見ると、踊っている人がいる。踊る人は面をつけている。太鼓や小鼓を打つ人もいる。田植えをする人は同じ姿勢をしている。
こりゃなんだろう。お囃子のリズムにあわせて、みんなで一斉に田植えをしている感じかな。なんか楽しそうですな。
この絵は、室町時代の8曲1隻の屏風「月次風俗図屏風」の田植え図だそうです。この解説パネルに書いてあったことがとても興味深かったので、引用させていただきます。
日本の中世は芸能の世紀ともいえる。そこにはやがて能・狂言に結実する田楽、猿楽をはじめとして、歌に舞に語りに、多様な芸場が展開するばかりでなく、文学や美術などの分野においても芸能的性格がつらぬかれているのをみる。宮廷社会に独占されていた古代芸能に対し、中世は、地方民衆のうちに伝えられた歌舞が、武士を先頭とする民衆に担われ、自ら享受されるものとなった時代であり、田楽・猿楽はその代表であり、それらさまざまな芸能は、まさしく庶民の文化として、中世的世界のきざしとともに一斉に登場した。
なるほどなるほど。この絵、とっても好きになりました。
この室町時代に描かれている田植えの、おそらく原型を伝えてくれている行事が、広島県北広島町の「壬生の花田植」。これ、ぜひ見てみたいです。

(大澤)

2010/09/16

番楽について

番楽については、神楽と同じようなものみたいですね。
ただ、ネットで調べたら神楽は大方女舞なのに比し、番楽はすべて男舞である。と書いてありました。

エビスさん
番楽の映像に出てきたエビスさんですが、日本では中央から見て辺境の地である関東の住人を「東エビス」などと言ったそうで、中国では異民族を示す「戎」「夷」「胡」という漢字が日本語のエビスに当てはめられたのはエビスにもそのような意味があったからなのかもしれないそうです。一方、古事記に出てくる「蛭子」がエビスと読まれて、(海辺への漂着物全般を蛭子と同一視してありがたがったりして)「蛭子神」すなわちエビスを祀る神社が各地に立ちました。中でも兵庫県の「西宮神宮」が有名で、このすぐ近くに人形を操る「傀儡(くぐつ)」たちが平安時代の頃から住んでいました。「えびすまわし」などと言って人形繰りによって、エビス信仰を全国に広めたそうです。各地の民俗芸能にエビスが登場するのはその影響なのではとのことです。神道では、「事代主神(ことしろぬししん)」をエビスだと言ったりしたそうです。

山伏
番楽の元となったのが山伏の人たちだということですが、山伏を始め、仏教の寺院や僧が、日本の古い芸能の発祥に関わる場合が少なくない気がしています。これらは、中世当時の政治的中心からは「無縁」の、つまり別の哲学や論理によって民衆との関わりを持っている、といった背景があるように感じます。また、田植えにまつわる祭りを始め、下層民の共同体意識によって、ある意味で権力に抗うような力を誇示する側面もあったようです。(地主の田植えによる祭りであっても、決して地主の言いなりにならないというような気概があったようです。)
ある時期までは、芸能自体が反中心主義的な(例えば、当時の原住民や抑圧された賤民や移民たちの存在を抑圧する勢力に媚びない)力強さがあり、それを網野善彦氏は「無縁」の場と呼んでいて、私はいい意味での「自治的」なエネルギーであると感じます。江戸時代にはそういった状況が変化し、様々なものがある程度中心主義的に移行して行ったようです。それが明治の近代化で決定的に「反中心主義的文化」や「自治的なエネルギー」を根絶やしにされた印象があります。(手塚)

鰄渕(かいらげふち)番楽

今年の夏に僕の地元秋田県・能代市・鰄渕(かいらげふち)で毎年開催されている神楽を撮影してきたので、Youtubeにアップしました。
能代市は広いので、僕も調べるまで、鰄渕、という地名すら聞いたことがありませんでした。
神楽の名前は“鰄渕番楽”といいます。番楽というのは番楽というのは山伏神楽の東北地方の呼び名だそうで、日本海側では番楽、太平洋側では山伏神楽、権現舞と呼ばれるそうです。
何で番楽と呼ばれるようになったのかまだ調べていないのですが、どうやら、秋田県の民俗芸能にだけ番楽という名前をみつけます。もしかしたら他の地域にもあるのかもしれませんが、まだ見ていません。
鰄渕番楽について詳しくはこちら
鰄渕についてはこちら↓
動物地名-ウグイ
魚名は地方によって非常に異なっている。
またその魚名を宛てる漢字、国字の読み方、内容もまちまちであることから、しばしば混乱を生じかねない。
愛知県海部郡弥富町の鯏浦(うぐいうら)はもと魚に成のうぐい浦と記していたのを、江戸時代の役人が鯏浦と誤記して以来、それがそのまま通用するようになったという。(「愛知県海部郡史」)。
鯏は蜊(あさり)の誤用とする辞書がある一方、鯏はあさりを指すが、うぐいとも読むと述べている辞書もある。
鯏浦はかつて木曽川の河口に面していたというし、またハマグリの名所の桑名に近いところから、アサリも採れた漁村ではなかったかと思うが、地名の由来を確かめる術はない。
秋田県能代市の鰄淵(かいらげふち)は桧山川の下流域にあるが、かつては米代川沿いにあり、ウグイがよく集まる川岸であったという古老の言がある。能代市の縄文時代の貝塚からはコイやフナ、サケの骨に混じって、ウグイの骨がたくさん出る。
江戸時代の鰄淵村は、もと田尻村と称していたのを、延宝七年(1679)に、今の地名に改めたという。
ある辞書には、鰄は魚に成の字の誤用とあるから、鰄淵は魚に成のうぐい淵のつもりでつけた地名にちがいない。
能代市に隣接する琴丘町にも鰄淵という地名があるが、そこは三種川の支流である小又川沿いにあり、ウグイがよく集まる淵だという。
鰄淵の地名の由来については別の説もある。このあたりは佐竹藩の重臣であった梅津政景の知行地であり、新田開発を行ったところであるから、良質の田を開いたことを記念して、開良所(かいらじょ)に通じる鰄淵の名を付けたという説である。
鰄淵は庶民ではなく、学識のある者の命名にかかわることはまちがいない。一説として紹介しておく。
鰄は梅花皮とも書き、東南アジア産のカイラギサメの皮で、刀の鞘の装飾に用いる。梅花形の硬い粒状の凸起がある背面中央部の皮を用いる。
南方熊楠によると、紀州田辺にウガという魚がいて、蛇に似て身長く、赤白の横紋があって非常に美しく、尾が三つに分かれ、真ん中の線だけが、数珠のように玉を貫いているという。漁師はこのウガの尾を切って船霊に供える。
ウガは新宮市の三輪崎ではカイラギと呼ばれているが、それがカイラギサメのことであるかはわからない、と熊楠は言っている(「続南方随筆」)。
しかし熊楠の説明を聞くかぎり、ウガはカイラギサメではない。それについては「長邑と宇賀の郷」の項で記してある。
いずれにしろ能代市の鰄淵がカイラギサメと縁のないことは明白である。
岩波新書「続 日本の地名」より

映像は1~10まであるので、全部見ると二時間近くになります。途中に老人会のハーモニカ演奏があったのですが、それは入っていません。地元の近所の人たちだけが三十人くらい集まっているような現場でした。
舞に同じフレーズが何度も登場するので、見ていると覚えてしまいそうです。
いろいろ分析して書きたいのですが、とりいそぎ。(捩子)

2010/09/15

奥沢神社祭礼の「手古舞」

今回私が参加した手古舞は、お祭りの時に芸者さんが男装して行なっていたもののようです。
私は、ずっと前からここでもやっていたことだと思っていたのですが、奥沢では最近やるようになったようです。日本舞踊の演目とかにもなっているみたいで、その時はいわゆる「振付」とかあるのかもしれないのですが、行列では、神輿と木遣りの前を、規則的に歩きました。ゆっくりと4歩歩き、「さーあ」と声をかけて金棒をとん!とつくというのを繰り返します。
衣装は、着付けの先生に着させてもらいました。和装の正式なものはきっとみんなそうなのだと思いますが、汗とりや襦袢に始まり、何重にも重ねながら、結んだり折り畳んだり、ひっくり返したり、複雑に着ていくのがとても面白かったです。
着心地も、腰の部分はものすごくがっしり締め付けて厚みもあるけれど、下半身はものすごく軽くすーすーする感じだったり、デザイン的なことも、一番外側は、中性的で動きやすそうなちょっとコミカル?な柄の着物、その一枚中は女性らしく色っぽい赤に花の柄の着物で、全部着終わった後、片方の肩だけめくり上げて中の衣装が見えるようにする、とか、色々気になる所目白押しで、ひとつひとつが機能とは別のところで意味を持っている感じがしました。
たしか能の衣装とかも色々意味がありますよね。こういうのを調べてみるのも面白そうだなーとおもいました。
御神輿の行列は昼の12時〜始まり、途中何回か休憩をはさみながら、15時くらいまででした。御神輿の重そうだったり暑そうだったり混み合ってそうだったりしながら飛び交うかけ声、木遣りの皆さんの語りと歌と鳴き声の中間のような渋い声の重なりを背中に浴びながら、ひたすらゆっくりと歩くのは、今までに味わったことの無いスケールと緊張感でした。
長い長い様々な連なり繋がりがあって自分もいるなあ、という感覚が背中の向こうを感じることで自然に湧いていたのが不思議でした。
そして個人っていうものが全く消えたところで人々が集い、場の空気が高まって行く様は、とても気持ちのよいものでした。
今回私は、色々な縁に導かれるままに参加して、なかなか体験できないことを体験出来た、みたいな感じで、自分の欲求に動かされてどっぷり色々調べて行くっていうところにはまだなってないのですが、自分の中に漠然〜とあった祭事やお祈り、そのことにまつわる意味や物語への興味が、ちょっと具体的になった気がしてます。
ぐうたらで、相当気が向かないと実行に移せなそうな予感(言い訳気味)ですが、ちょっとずつ気になる本とか、地元のこととか、具体的に知って行こうって凄く思いました。あと盆踊り色々行って覚えたいなーとか。
そう言えば手塚さんが蛇の話を書いてましたけど、ぱらぱらめくっていた本(「子どもと昔話」っていう季刊誌)に韓国の蛇の昔話が載っていたので今度見せますね。
ではでは、つらつらと長くなりました。(福留)

2010/09/13

奥沢の「大蛇祭り」

昨日、麻里ちゃんが参加した奥沢の「大蛇祭り」で、御神輿を先導する手古舞などを見てきました。
大蛇祭りというくらいなので、「大蛇」をわらで作ったものを持って練り歩くというような行事が前日にあったようですがこれは見れなかったです。残念。

手古舞
ウィキペディアで調べたら、「手古舞」は、江戸中期頃、芸者が山車を先導するため、男性風の扮装で登場したのが始まり。だそうです。八王子のお祭りでも壮観な本物の芸者さんが演奏している姿がありました。かなりかっこ良かったです。

「木遣り」
昨日の奥沢では御神輿の前に「木遣り」と言って歌いながら先導する人たちがいてその前で手古舞をしていました。麻里ちゃんもかっこよかったです。最後はたくさんの御神輿が集結して、木遣りの人たちが「スサノオ」に関する歌をひとしきり歌っていました。その姿がなんとも神聖な空気を醸し出して、背筋がゾワーッとしました。
※起源・・・・木遣りは労働歌として、働く者の気を力を一つに合わせ、一同の力を一遍に出させるために歌われ、目的に応じそれぞれの風土と混じり合い、変化しながら、全国各地に広がりその土地に定着していきました。

「里神楽」
そのあと神社でささやかな里神楽をやっていて、少し見ました。

内容は
1)天孫降臨、つまりニニギの命が豊葦原中津国をおさめるために天から降る話。
2)神武東征、神倭いわれびこの命うんぬん
などなどで、私は2)の途中をみました。東にもともといた人たちの姿がかなり滑稽な仮面を付けて描かれていて、なんとなくある時期に国という概念を強調する指針が介入したのかななどと想像したりしました。

「大蛇」
大蛇は、厄除や雨乞いと関係がありそうです。蛇は古代の信仰では水の神様だそうで、そういえば蛇口というのも言い得て妙なネーミングですね。
ただ、水の神様なだけに、雨乞いだけではなく水害を止めるといった効果を期待したものもあるらしく、区立図書館で調べたら結構面白い蛇の祭りがたくさんみれました。あるものは藁でできた蛇の中に人が入って苦しそうにホラ貝を吹いていました。ただ、奥沢も古くは田と畑の土地で、農業に深く関係するお祭りなのでしょうね。以前に、映像で見た大本神楽に出てくる神懸かり(神様が人に取り憑いて降りてくる)儀式では、長い縄を天井に吊るしておき神懸かった瞬間その縄に飛びつくと言うような内容で、人も蛇の動きを模したように、人々が列になり、うねうねと動き回ったすえに神がかるようでした。

2010/09/10

芸能や人々の流れと多層性

アーティストがある作品の手法を見出す時の潜在的な力をリサーチによって高めることができると思った。物事の記号的な認識を解体し、自分のウチにある欲求に方法を掴ませ、可能性の幅を広げることができる。なの「Asia Interactive Research」ということを始動しようと思っている。
日本でも呼びかけて少しずつ始めている。手始めに、相模原市の鳥屋の獅子舞を習った。

「日本の伝統芸能や民俗芸能のリサーチをしている。
その延長線上で日本以外の国、主にアジアの様々な地域にリサーチに行く。」
こう表現すると切り口としてはとっても大雑把だ。

例えば「ファンタジーについて」
とか
「無意識の領域について」
とか、そういった切り口で進んだ方がクリアーなことかもしれないとは思いつつ、自分がなぜ興味を持っていて、何を手探りしているのか自問自答する。

「日本」という領域(あるいは国家というの)は、政治的な事情で生じた境界の内側ではあるけれど、実際に認識している像はひとつの幻想だ。集団的に洗脳されている。または、依存している。そして逸脱できない。だけど、様々な言葉、民族、土地に根ざした文化はどれも流動的で多層的だし、それは人工的に引かれた国境の内側にまとめて理解できるような物でもない。だから、記号的な認識を解体し、その「流れ」や「層」を感じたいのかもしれないと思う。たぶん、私自身に繋がる何かとして。

ある芸能が生まれたり展開したりするときに起きている事、それは、その時代に起きている何かに対する身体的な反応だったり抗い(人に好きなように操られないでいたい。何かに従属したくない、という感覚)だったりする。
そして、人々の後ろ盾となるような神聖な何かと接触する。それらは共同体的な自治的領域(反権力的な)で起きる。
その神聖な何かというのが、土地によって多様で、多層的で、異質でもあり共有できる要素もある。(手塚)