2012/01/25

Individualとdividual


今回で四回目になる中間発表、実験をするのはいつもの事だが、ちょっとした問いの進展があって充実感を感じている。
今回は、前回と引き続き、STスポットのヨコラボ企画である、民俗芸能調査クラブと合同で、互いに互いのテーマをリンクさせながら、それでいて最終的にはかけ離れながら問いを深め合った。

手塚の興味に特化したメモを少しずつ示していきます。

2012年1月20日 「実験して、接近する」の為のメモ

近代化と共に「個人」という概念がやってきた。
個人はもともと日本にはなかった言葉で、英語では「Individual」「parsonal」

Individual (それ以上分けることができない単位)←→ dividual(分けることが出来る)という言葉は本来無いが、近代化以前の日本の領域あたりではこういう身体感覚で「自分」というものを捉えていたのではないだろうか?

「自分」という感覚について考える


Individual
自分が何をしても自由。どこに行ってもいい。
他の人と違うことを感じていてもいい。
自分の心配や痛みに関して、人に共有してもらえない。なぜならそれらは線引きされた自分という領域の内側のものだから。
人の心配や痛みに、一定の距離を置く。
して欲しいことと、してあげることの量を公平にする。
依存しない。やる仕事に見合うだけのお金をもらう。困っていても自分の力かお金でなんとかする。人が困っていても、物事から一定の距離を置いて、できることだけ助ける。公平さを守るために自分の欲求を主張し、戦う責任がある。

dividual
自分は何かの部分を担う。
自分が何かしたくても、コミュニティーの役割を優先する。
コミュニティーにとって役割のある時間には、自分の個人的な用事を入れない。
男と女の役割が離れている。コミュニティーの中で困っている人がいたら、必ず、できるだけ全面的にみんなで助ける。食べ物を平等に分ける。同じ食べ物をみんなで食べる(同じ釜の飯を食べる)。同じ飲み物をみんなで飲む。お金にならないコミュニティーの為の仕事をみんなで分け合ってやる。公平で合理的なことを望まない。心を交換し合うために、できることを努力し続ける。うらぎらない。

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